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座長口上
町田に生まれ住み、いつの間にか還暦も過ぎてしまいました。
Uターンにあたり、あらためてわが街をふり返りました。
昭和40年頃から、小さな町が高度成長期をむかえ団地が沢山できました。
昭和48年、人口23万人になった時、ふる里を持たない子供達に町田をふる里にしたらどうか。
市民全員参加の「23万人の個展」が青年たちの力により開催された頃、
町田パリオも生まれました。
遠くまで買い物に行かなくても町田でなんでもそろう・・・。
その先がけの一つとして。
歴史、開拓、文化、改革、夢、先人達は未来を当時の子供達に託しました。
そしてその子供達も40年を経て、
緑、はらっぱが少なくなってきた中に、あたたかい住みやすい小さな街、まほろ市に強い反応を示し横丁も生まれました。
私は先人達からバトンは確実に渡されたと心はずませ、仲間に入れてもらいたくなりました。
同じ価値観を持って、もっともっと人間味あふれるあたたかい街づくりを。
まさに次にバトンを渡すために。
三世代に渡り共有できることを願いつつ。
まほろ市は世界の中のユートピア・・・。
街があれば空もあり、空には満天の星が。
その中で輝くまほろ座を見つけていただければ私は幸せです。
ここに居る時は皆様がスターであり、ご自分のスターを見つけて下さい。
見つかるはずです。
長々と序章が続いてしまいました。落語にまくら、音楽に前奏、走るための助走。
ごあいさつにあたり、どうしても先人達の思いをお伝えしたかったのです。
世代を超えて皆様の架け橋となれますことをこの星に願います。
今の青年達に活力の灯をともして下さった三浦しをん先生、映画制作に協力して横丁をつくって下さった街の方々に心より感謝いたします。
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